プロフィール-Webデザイナーの仕事遍歴と給料

事業会社でインハウスWebデザイナー×マーケターをやっている、1977年生まれのアラフォー、超就職氷河期世代。
大学卒業後、就職氷河期の中でも最悪の有効求人倍率が最底辺だった2000年に社会にでました。くちょっ。
なんとか印刷系零細企業にもぐりこんだ私が、この20年で2度の転職を経て年収540万円のWebデザイナー×マーケターになった仕事の歴史を振り返ります。

スタートは印刷系零細企業

時は1999年。100社以上受けて落ちまくって、なんとかもぐりこんだ会社は印刷会社系の制作会社のさらに下請けの製販会社でした。それでも当時私は腐ることもなく、内定をもらった年の夏にその会社でアルバイトをして、翌2000年4月より晴れて正社員として社会人生活をスタートしました。
今振り返れば最悪の年代だったと知ることができますが、当時はそんなこと分からなかったし、当時興味のあった印刷系企業に入れたことは純粋に嬉しかったのです。

当時の給料は残業代込みで月21~24万円、手取りは19万円くらい。年収は360万円。仕事はスキャナーオペレーターに始まって、DTPオペレーター、少しデザインとディレクション業務。15年在籍して年収は少しづつ増え最高で430万(月収約28~29万)ほどまであがりました。
しかしその後、重要クライアントだったマイクロソフトで業務改革があり、我々が受託していた日本リージョンの仕事がアメリカに移ったことで仕事が激減。給料も頭打ちどころか減少に転じました。
常日頃からWebに転身したいと考えていた私はここが潮時と考え、本格的な転職活動を開始。2015年、37歳の時でした。

初めての転職

アラフォーと言われる年齢で転職活動は難航する、、、かと思いきや、とんとん拍子に3つの内定を得ることに成功。リアルにガッツポーズをしたのはこれが初めてかもしれません。

・びゅうトラベル/正社員/Webデザイナー・・・JR系旅行会社
・JALブランドコミュニケーションズ/契約社員/Webディレクター・・・JAL系の制作会社
・楽天グループの事業会社/正社員/Webデザイナー

内定をいただいた3社です。零細企業だったものの、マイクロソフトという大企業の仕事を主担当していたことが評価されたのだと思います。さらにプライベートで15年間企画制作・運用してきた個人Webサイトも評価されました。
3社に共通するのは「インハウスであること」。最初の転職ではここにこだわりました。そして脳みそがちぎれるほど悩んだ末に決めたのは、楽天系事業会社でした。
後から考えるとこの選択は最良でした。当時の自分をほめたい。

楽天系事業会社での仕事は2015年8月からスタートしました。オフィスは楽天本社と同じ二子玉川のビル内。福利厚生などすべて楽天と同じ。有名な三食無料の社食なども享受しました。
仕事はインハウスデザイナー。タスクは8割がWeb、2割が紙のデザイン・制作業務。紙からWebにシフトしたい私にはぴったりのポジションです。所属したのはマーケティング部でWeb広告の運用やテレビCMの制作などをする部署。ここでWeb制作の実務経験だけではなく、みっちりマーケティングのイロハを身に着けたのです。
そして給料も飛躍的に上がりました。入社当時の条件は月給27.5万円(20時間の見込み残業代込み)+超過残業代。この超過残業代を入れなければ若干前職より下がるのですが「残業代が1分単位で全額出る」というホワイト企業であったため(前職は残業代が一切出ないグレー企業)、初月から軽く前職の月収を超えたのです。その額月給33万円。前職では15年も居て超えられなかった30万円の壁。しかもその後順調に昇給し残業もさらに増え、月給は38~39万円ほどにあがりました。年収にして537万円です。
この会社に在籍したのは1年9か月ほどでしたが、とにかく濃い時間、濃い経験を積み、その後の仕事に大きく影響を与えることになります。

二度目の転職と退職

そんな夢のようだった楽天系事業会社ですが、2年経たずに辞める決意をしました。その最大の理由は「残業時間」です。評価が上がるとともに任される仕事もどんどん増え、残業時間は月間60~70時間に膨れ上がっていました。これでは体がもたない。それに周囲に評価され頼られる身になったことで、若干物足りなさを感じ始めていました。ここで身につけられることはすべて身に着けたし、やれることはやり切った。これ以上の成長はないだろうと。それに年齢は39歳です。転職するなら30代のほうが有利なはず。

二度目の転職はやはり前回より難航しました。書類は通っても面接で落ちること数社。それでも2社から内定をいただき、そのうちの1社に入社を決めました。2017年1月のことです。
辞めるには私の後任が必要です。退職を伝えた後に採用活動が始まり面談には私も同席し20名以上のWebデザイナーに会いました。しかしなかなか良い人材がいません。いいと思った人材は他社にとられたり、要求額が高かったりで決められず、それ以外の人材はいまいち。。私は転職先に入社日を1か月伸ばしてもらう交渉をして後任を待ちましたがついにやめる日まで決まりませんでした。これ以上入社を先延ばしにもできず、やむなく退職したのは4月のことです。有休消化も難色を示されながらも2週間ほどいただき世界を旅行してリブートしました。

3社目の会社

2017年5月1日、人生で3社目の会社で仕事がスタートしました。BtoBのインフラ系事業会社で、Web制作担当というポジションです。提示された給料は月給28.6万円+残業代、前職より下がります。幸運なことに入社直前にベースアップがあり、当初の提示額より少し多い29.2万円+残業代でスタート。
この会社は、望んだとおり残業がほとんどありませんでした。しかし前任者が退職し放置され荒野のようになったWeb周りを立て直す必要があり、タスクは山のようにありました。そのため自主的に残業をし月間20時間ほど、金額にして4~5万円。最初の月給は33~34万円となりました。
前職が残業月間70時間で39万、現職では20時間で34万。時給換算で考えると前職が2000円程度、現職が2200円程度、もし前職と同じだけ残業をしたならば軽く前職を超える収入だったのです。

この会社で私の快進撃が始まります。前職で身に着けたマーケティングの知識をふんだんに活用することとなり、同時期入社のWeb担当社員を圧倒。マーケティングの知識があるWebデザイナーは希少であることは後任探しの採用活動で知りました。このためここでも仕事が評価され、毎年昇格し、会社の業績が良いことも相まって給与改定などもあり、3年で前職を上回る月給40万(残業25時間程度)までいきました。ここではじめて40万の壁を越えたのです。

そして現在(2020年4月)

3社目の会社も3年が経ちました。求めていた環境が実現しています。残業が少なく、プライベートも充実、給料も満足レベルで、自分の得意な分野の仕事で活躍し評価されています。職場は自宅から近く電車で1本30分。休みは多く有休も好きに取得でき、長期休暇もあり、大好きな海外旅行にいつでも行けます。

しかし、私は3度目の転職を考え始めています
その理由は、前職を辞めた時と同じものです。

それに周囲に評価され頼られる身になったことで、若干物足りなさを感じ始めていました。ここで身につけられることはすべて身に着けたし、やれることはやり切った。これ以上の成長はないだろうと。

このづつきは、またいつか。

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